48歳、東京在住の会社員・Tさんは、36歳の時に「マクログロブリン血症」という稀な血液の病気を発症しました。診断から10年以上の歳月が経過する中で、症状の悪化や治療開始のタイミングを迎え、困難を乗り越えながら現在も前向きに日々を送っています。そんなTさんの体験を伺いました。同じような病気や困難に向き合う方々へのヒントとなるかもしれません。
病気との最初の出会いと診断
- 聞き手
- 最初にどんな症状を感じ、どういった経緯で病気が発覚したのですか?
- Tさん
- 2、30代の間はかなり忙しくしていて、30代の半ばの頃、起き上がろうとしたら立てなくて、頭がふらふらするような感覚に襲われました。そこで最寄りの内科を受診しました。その時点ではふらふらする原因は特定できませんでしたが、後日検査結果を聞いたところ、M蛋白というものが確認されたと言われました。
- 聞き手
- M蛋白という言葉、あまり聞き慣れないですよね。
- Tさん
- 全く知らなかったので、最初は戸惑いましたね。医師から「血液内科を受診してください」と言われ、近隣に2つの血液内科を有する病院があったのですが、都合の良い病院を受診しました。詳細な血液検査の結果「マクログロブリン血症」と診断されました。
- 聞き手
- 当時の事を覚えていますか?
- Tさん
- 診察が終わってすぐにインターネットで、調べてみました。そこで、やはり「がん」という言葉を見てショックを受けました。帰りのバスの中で気分が悪くなり、そのまま倒れてしまい、救急車で運ばれることになりました。
家族や日常生活への影響
- 聞き手
- 診断を受けた後、周囲の方々にはどのように伝えましたか?
- Tさん
- 当時、私は独身で一人暮らしをしていました。親元を離れて数年経っていたので、すぐには報告しませんでした。倒れた時に「急遽内科に行った」とだけ伝え、詳細な病名を話したのは後になってからです。自分の中で心の整理をつける時間が必要でした。職場の方にも診療の日に休むと伝えただけで、最終的にこういう病気であったと伝えるのは、もう少し後になってからでした。自分の中で精神的に整理する時間が必要だったのだと思います。
- 聞き手
- すぐに治療にはいるわけではなく、その後は落ち着いた生活になったのですか?
- Tさん
- 明確な体調不良はなかったのと、医師からも血液がんは、内臓のがんとは異なりすぐに手術が必要などということはないので、あまり気にせずに普通に過ごして下さいということを何度も言われました。私自身もそうしようと努力していました。
- 聞き手
- その後はどのように日常生活を送られましたか?
- Tさん
- 3か月に1回の血液検査での通院です。治療に至るまでに10年位あったのですが、その間にコロナ禍もあって、病院から受診抑制もあったりして、ちょっと間があくようなこともありました。
- 聞き手
- 定期的な検査はあっても、まだ治療は大丈夫と言われてご不安はなかったですか?
- Tさん
- 自覚症状があまりない時期が続いていたこと、この病気は比較的高齢者の方に多いこと、自分のような30代で診断が下されるケースの方が少ないことなど、割と普通に過ごしてしまっていたなというのが30代から40代前半までの日々でした。仕事自体は結構ハードなもので、仕事疲れか、病気の疲れか判断つなかい状況ではありました。
- 聞き手
- 自覚症状はないとは言え、不安なく過ごすことはできていたのですか?
- Tさん
- 経過観察中でも、持病のことを思い出し時々体調が悪くなることはありました。普通の方が薬を飲まず1-2日寝て治る風邪でも、自分の場合は、数日間続いたり、気管支炎になったりすることがありました。仕事を休んで数日寝込むこともありましたね。
- 聞き手
- 3か月に1回の診察では、そのような状況や不安をお話しされていましたか?
- Tさん
- 自分が通っている病院は特に混雑していて、診察を受け、血液検査をし、検査結果を待つ。そんな中、医師は数十人の患者さんに対応するわけです。患者さん同士で話すこともあるのですが、本当に、半日以上待たされます。特に高齢者の患者さんは可哀そうだと思いました。
そんなこともあって、自分の番はなるべく早く終えなければって感覚になっていて、聞いておけばよかったなとか、実際に聞いたことも忘れることもありました。皆さんもやっておられましたが、待ち時間も長いのでの、事前にこんなことを聞こうなど頭の整理はしていました。
治療の決断と経緯
- 聞き手
- 治療が始まったのはいつ頃でしたか?
- Tさん
- 診断から約10年が経過した2023年のことです。長い間、定期的な血液検査を受けながら経過観察を続けていました。しかし、ある時期から倦怠感が強くなり、IgM値も大きく上昇しました。これを受けて、担当医から治療を勧められました。この時は、毎日仕事が終わると疲れてくふらふらになって帰宅する状態でした。
- 聞き手
- 治療方法はどのように決定されたのでしょうか?
- Tさん
- 投薬治療と入院治療の2つの選択肢がありました。年齢や将来のことを考慮して、医師からは入院治療を勧められました。投薬治療だと一生薬を飲み続けることになるため、当時40代後半でしたので、きちんと治療をすれば人生そこそこな期間もあるだろうと思い、最終的に入院を選びました。一応、高齢の母にも立ち会って貰い客観的な意見も貰ったりもしました。
- 聞き手
- 入院生活ではどんなことが大変でしたか?
- Tさん
- 大変だったのは副作用です。体がだるく、食欲も減退してしまいました。また、同室の患者さんとの共同生活にも気を遣いました。特にプライバシーが限られた環境では、精神的なストレスがありました。
- 聞き手
- 入院生活での精神的な負担は想像以上ですよね。
- Tさん
- そうですね。一般病棟であったので、4人が同室になり、自分もいびきを気にしていたのですが、同室の方々もいびきがあり、お互い迷惑のかけあいみたいになって、お互い寝付けなかったりしました。コロナ禍にあって、患者さん間の仕切りやカーテンはあるのですが、音だけはどうしようもなかったですね。ストレスを感じた半年間の入院でした。
- 聞き手
- その他に入院中にお困りのことはありましたか?
- Tさん
- 病院食でしょうか。私の場合、どんどん食べられるものが減っていったということがあります。精神的なものか、副作用との関係なのかわかりませんが、週替わりのメニューで、3回目に同じメニューを見た時に、もう食べられなくなって、その後はコンビニ頼みとなりました。実はこれが一番苦痛であったかもしれません。半年の闘病で7kgも体重が減りました。ただ、入院を通じて、いろいろな問題に対し、看護師さんの対応にはとても勇気づけられました。
- 聞き手
- 医療費についてはどうでしたか?
- Tさん
- 休職の際、高額療養費制度の適応を受けていたので、入院時に支払う額も1回10万程度で済み助かりました。貯金はある程度あり備えてはいましたが、高額療養費制度にはすごく助けられました。また、健保の方もタイムラグはあったのですが、3ヶ月目位から傷病金の申請が出てき始めたので、結局休職していた半年間分のマイナスはあったんですけれども、思ったよりは生活が苦くならずに済みました。
現在の生活と未来への展望
- 聞き手
- 現在の体調はいかがですか?
- Tさん
- 今は体調が安定しています。疲労感もほとんどなく、日常生活に支障はありません。ただ、免疫力が低下しているため、風邪や感染症には注意しています。
- 聞き手
- 生活面で気を付けていることはありますか?
- Tさん
- 自分は、ちょっと考えすぎなところがあって、がんという言葉にちょっと振り回されたなっていうのがありました。担当医の方もあえて言わなかったのは、どうせ長い病気なで、あまり気にせず過ごす方法を重視してくださいっていうことで、多分そういう伝え方をされていたと思うのです。ちょっと自分で色々調べすぎたなっていうのは反省点としています。
- 聞き手
- 病気を通じて価値観に変化はありましたか?
- Tさん
- 20代、30代仕事人間でしたので、この病気をきっかけに人生設計ではないですが、限られた時間の中でやらなければいけないことがあるかもしれなといった意識付けができるようになりました。なかなか最終的に完治はしないけれども、すぐに死に至るというような病気ではない。幸か不幸か、自分の人生の終わりがいつかはわからないけれども、どうやら人より短そうだという覚悟はついたので、それに向かってじゃあ自分が何をやらなければならないのだろうみたいなのを改めて感じたことでしょうか。
- 聞き手
- これから患者になる方々にアドバイスがありますか?
- Tさん
- 10数年この病気と向き合ってきて、がんとして捉えるというよりは、自分の中でちょっと人生が短くなるかもしれない要素を1つ持っているくらいの付き合い方をするのがいいのかなという点です。普通に過ごしてくださいと言われて、その通り普通に過ごすっていうのが大事であったと自分では思っています。
- 聞き手
- 貴重なお話をありがとうございました。今後も健康に気を付けてお過ごしください。
- Tさん
- こちらこそありがとうございました。