神奈川県在住のCOさん(50歳)は、2021年8月、47歳で「マントル細胞リンパ腫」と診断されました。始まりは24歳の時にできた首の小さなしこりでした。22年もの歳月を経て、そのしこりが大きくなったことから、思いもよらない血液疾患の発覚へとつながりました。診断から治療、そして寛解に至るまでの道のり、家族との関係性、そして再発への不安について、具体的なエピソードを交えながら詳しくお話しいただきました。
20年以上前からの小さな違和感が・・
- 聞き手
- 本日はお忙しい中、ありがとうございます。早速ですが、まず、どのような経緯でご自身の病気が分かったのか、お聞かせいただけますか?
- COさん
- 病気のきっかけは、24歳の時に伝染性単核球症を患った際、首の右下にできた小さなしこりでした。痛みもないので、当時は特に気にしていなかったんです。病院に行っても「問題ないでしょう」と言われるばかりで、20年以上が経ちました。ところが、47歳になった2021年の夏頃、そのしこりが明らかに大きくなっていることに気づき、近所の耳鼻咽喉科を受診したのが始まりでした。
- 聞き手
- そこから、専門的な検査に進むことになったのですね。
- COさん
- はい。近所の耳鼻咽喉科では触診だけで「うちでは診られない」と告げられ、すぐに大きな病院を紹介されました。そこでエコーとファイバースコープの検査を受けたところ、首だけでなく、右耳下から右鎖骨上まで複数のしこりがあることがわかりました。「あまり良くないかもしれない」と深刻な表情で言われ、その時初めて「もしかして、がんなのかな…」と頭をよぎりました。
死の恐怖と向き合った、診断からの葛藤
- 聞き手
- がんの可能性を初めて告げられた時のお気持ちはいかがでしたか?
- COさん
- 「まさか」という気持ちが強かったです。それから、さらに詳しい検査のため、注射器で細胞を採取する検査が必要だと告げられました。でも、病院が混んでいて予約が1ヶ月も先だったんです。この1ヶ月間は本当に長く感じました。ただの脂肪の塊であることを期待しつつ、毎日「もしがんだったらどうしよう」という不安と戦っていました。
- 聞き手
- そして、ついに確定診断に至るわけですね。
- COさん
- はい。1ヶ月後、ようやく受けた検査の結果、まず「がん細胞である可能性が高い」と告げられ、その2週間後に「悪性リンパ腫」と診断されました。さらに、病理検査の結果、リンパ腫の中でも稀な「マントル細胞リンパ腫」であることが判明しました。
- 聞き手
- 珍しい病気だと告げられた時、どう感じましたか?
- COさん
- その場で主治医が「強力な治療が必要」と深刻な表情で告げました。夫が余命について尋ねたのですが、明確な言葉はなく、それが逆に厳しい病気だということを物語っていました。当時はインターネットで「5年生存率3割」という情報ばかりが出てきて、絶望しました。「子どもが成人するまで生きられないかもしれない」と決めつけていたんです。でも、夫や家族が「絶対大丈夫だよ」と励ましてくれて、その言葉が何よりの支えになりました。
過酷な治療と家族の支え
- 聞き手
- 治療方針はどのように決まりましたか?
- COさん
- R-DHAPという強力な抗がん剤を3クール行った後、自家移植に進むというものでした。幸いにもステージ2Aであることが判明したのですが、それでも治療内容は変わらないと告げられました。この時、一番心配だったのは、当時中学2年生と高校2年生だった2人の息子と夫の生活でした。それまで家事全般を一人で担っていたので、入院中に家族が困るのではないかと気がかりで仕方なかったです。
- 聞き手
- ご家族はどのように対応されましたか?
- COさん
- みんなが協力してくれました。夫が夕飯を、息子たちが洗濯や風呂掃除など家事を分担してくれましたし、実家の母や義母も手伝いに来てくれました。でも、やはりお互いに気を使ってしまって、精神的な疲労が溜まってしまったと振り返ります。それでも、家族の協力がなければ、治療を乗り越えることはできなかったと思います。
- 聞き手
- 治療中の具体的なご苦労についてもお聞かせください。
- COさん
- 抗がん剤の副作用は本当に辛かったです。特に、幼い頃からの嘔吐恐怖症に苦しみました。吐き気がするたびに、常に「吐くかもしれない」という恐怖と戦っていました。主治医に相談して吐き気止めの薬を強くしてもらったので、一度も吐くことはありませんでしたが、常に恐怖と隣り合わせでした。また、高額な治療費も大きな負担でした。高額療養費制度を利用しても毎月上限額を支払い、さらに維持療法でも費用がかさみました。しかし、がん保険に入っていたおかげで一時金が支払われたので、助かりました。
寛解、そして人生の再構築へ
- 聞き手
- 治療を終えられて、今の心境はいかがですか?
- COさん
- 抗がん剤治療と自家移植を終えた後、2年間のリツキシマブによる維持療法が始まりました。維持療法中は副作用も少なく、心身ともに楽にはなったのですが、同時に「自分ががん患者である」ということを常に意識させられました。パート先には病気のことを隠していましたし、「まだ治療中なのか」と周囲に言われることへの戸惑いもありました。
- 聞き手
- 2024年3月にすべての治療が終了したそうですね。その時のお気持ちは?
- COさん
- PET-CT検査で「大丈夫」と告げられたときは、心から嬉しかったです。でも同時に、再発への不安も募りました。再発したらどうなるか尋ねるのが怖くて、主治医に聞くことができませんでした。主治医が「がんを封じ込めている」と表現することに、まだ安心しきれないでいるというのが正直な気持ちです。
- 聞き手
- それでも、ご病気を経験されて、何か気持ちの変化はありましたか?
- COさん
- はい。やはり「生きていること、健康であることが当たり前ではない」と強く実感しました。病気をする前は、仕事や日々の生活に追われていましたが、今は「やりたいことは後回しにしない」と考えるようになりました。病気がきっかけで、久しぶりに連絡を取った学生時代からの友人にはとても助けられ、友情の有り難みを痛感しました。人間関係の整理ができ、家族が互いを思いやる優しさに触れ、本当に大切なものが再確認できたことも大きな収穫でした。
- 聞き手
- 最後に、同じ病気と向き合う方々へメッセージをお願いします。
- COさん
- 病気をすると、つらいことばかりに目が行きがちですが、私の場合は、病気のおかげで人生を見つめ直すことができました。同じように病気で悩んでいる方々と、この経験を分かち合いたくてブログを始めたんです。自分の体験が誰かの希望になるのであればとても嬉しいです。