20代で眼窩MALTリンパ腫と診断されてから12年。経過観察、形質転換によるびまん性大細胞型B細胞リンパ腫(DLBCL)への進行、抗がん剤治療、そして再びMALTリンパ腫との診断――。幾度もの転機を経験しながらも、Sさんを支え続けたのは「正しい情報を知ること」でした。論文を読み、医師に質問し、自ら納得しながら病気と向き合ってきたSさんに、その12年間を振り返っていただきました。
『リンパ腫だったね』その一言から、私の人生は大きく変わりました
- 聞き手
- 最初はどのような症状だったのでしょうか?
- Sさん
- 痛みはまったくありませんでした。右まぶたに少し違和感があって、「何かゴロゴロするな」という程度だったんです。近所の眼科ではアレルギーと言われていましたが、なかなか良くならず、だんだん腫れも大きくなってきました。そこで別の病院を受診したところ、「眼窩腫瘍の可能性があります」と言われ、慶應義塾大学病院を紹介されました。
- 聞き手
- 診断までは時間がかかりましたか?
- Sさん
- 振り返ると、症状に気づいてから2~3年くらい経っていました。当時は20代で、アイメイクをすると腫れが気になるようになってきて、それで受診したんです。それでも「まさか、がんだとは思っていませんでした」。大学病院では比較的早く生検が行われ、そこでMALTリンパ腫と診断されました。先生からは本当にさらっと、「リンパ腫だったね。」と言われました。その一言で、自分の人生が大きく変わったように感じました。
- 聞き手
- 他はどうでしたか?
- Sさん
- はい。PET-CTで前縦隔にも腫瘍が見つかりました。「もしこれもリンパ腫なら抗がん剤治療になるかもしれない」そう説明された時は、本当に怖かったですね。当時は接客業だったので、「髪が抜けたら仕事も続けられない」ということばかり考えていました。幸い、前縦隔の腫瘍は良性でした。その時は、本当にほっとしました。
「何度も腫瘍ができては消える。その繰り返しでした」 - 聞き手
- その後は経過観察が続いたのですか?
- Sさん
- はい。耳下腺や脇の下に腫瘍が見つかることもありましたが、生検ではがん細胞が確認されず、自然に小さくなることも何度もありました。できては消え、またできては消える。そんな状態が何年も続きました。
- 聞き手
- 不安はありませんでしたか?
- Sさん
- もちろんありました。でも眼窩MALTリンパ腫は比較的予後が良いという情報も調べていましたし、「今回もまた小さくなるかもしれない」と思いながら過ごしていました。病院の日は、美味しいランチを食べる日。そう決めていました。診察が終わったら新宿で買い物をしたり、美味しいものを食べたり。病院へ行くこと自体を少しでも前向きな時間にしたかったんです。
形質転換――人生が止まったと思いました
- 聞き手
- その後の様子はいかがでしたか?
- Sさん
- 2020年大きな転機を迎えました。耳下腺の腫瘍が急に大きくなってきました。見た目にも分かるくらい腫れて、口も開けにくくなりました。「もしかしたら形質転換かもしれない」そんな話は先生から以前から聞いていました。だから、ある程度覚悟はしていました。でも、生検の結果を耳鼻科で聞いた時、「びまん性大細胞型リンパ腫ですね。」と、予定より先に伝えられてしまったんです。その瞬間だけは、本当に涙が止まりませんでした。病院で30分くらい、一人で泣き続けたことを今でも覚えています。
- 聞き手
- 抗がん剤治療への不安も大きかったのでしょうか?
- Sさん
- はい。一番怖かったのは抗がん剤でした。でも、私はそれまで本当にたくさん情報を集めていました。論文も読みました。MALTリンパ腫の情報は少なかったので、海外の論文まで探して読んでいました。その中で、「初めてのR-CHOPで形質転換を治療した場合は、初発DLBCLと同等の治療成績が期待できる」という内容を見つけたんです。私はその論文を主治医に見せました。先生も調べてくださって、「その通りだね。頑張ろう。」と言ってくださいました。その一言で、もう一度前を向くことができました。
抗がん剤は怖かった。でも治療は私を前へ進ませてくれました
- 聞き手
- 実際にR-CHOPによる治療が始まって、いかがでしたか?
- Sさん
- 正直、始める前は「人生が終わってしまう」と思っていました。20代でMALTリンパ腫と診断され、その後も経過観察が続き、ようやく少し落ち着いたと思った頃の形質転換でした。周りで友人が結婚し、子どもが生まれ、それぞれ人生を歩んでいました。一方で私は、病気によって自分だけ時間が止まってしまうような感覚でした。それでも、治療が始まると意外なこともありました。副作用は想像していたほど強くありませんでした。最初の1クールだけ入院しましたが、その後は通院で治療を続けることができました。3クール目くらいからは治療の日でもランチに行けるくらい元気でしたし、家に帰ってから愛犬の散歩にも出かけていました。もちろん髪が抜けたことは女性として大きなショックでした。でも、それ以上にうれしかったのは、腫瘍がみるみる小さくなっていったことです。治療前は顔の腫れを隠すため、前髪を伸ばし、帽子を深くかぶり、暑い日でもマスクを外せませんでした。人前に出ることがつらく、鏡を見ることも苦痛でした。だからこそ、治療の効果を実感できた時の喜びは、とても大きかったですね。
- 聞き手
- 仕事には大きな影響がありましたか?
- Sさん
- はい。接客業だったので、あの状態では仕事を続けられませんでした。形質転換が分かった時点で退職しました。後悔はありません。「あの時は治療に専念するしかなかった。」そう思っています。治療が終わってからの一年間は、自分を見つめ直す時間になりました。車の運転免許を取り、資格も取得しました。そして現在は、高齢者施設で働いています。病気が人生を止めたのではなく、新しい人生のスタートだったのかもしれないと、今では思えるようになりました。
情報が、不安を希望へ変えてくれました
- 聞き手
- Sさんは、ご自身で本当に多くの情報を集めてこられましたね。
- Sさん
- そうですね。一番利用したのはインターネットです。Yahoo!で検索し、患者さんのブログも読みました。オンコロのような患者向けサイトも見ていましたし、海外の論文もできる限り読みました。特に「形質転換」という言葉で何度も検索しました。情報が少ない病気だからこそ、自分で探すしかなかったんです。病院でいただく冊子も読みましたが、私が知りたかった内容までは載っていませんでした。もっと踏み込んだ情報が欲しかった。だから、自分で探し続けました。
- 聞き手
- 情報が不安を強くすることはありませんでしたか?
- Sさん
- もちろん、不安になる情報もありました。でも、私はなるべく公式な情報や論文を読むようにしていました。ネットにはいろいろな情報があります。だからこそ、「どこからの情報なのか」を意識するようにしていました。振り返ると、本当に情報に支えられてここまで来られたと思います。病気にならなければ、こんなに医学を勉強することもありませんでした。今では、その知識が自分自身を支えてくれていると感じています。
病気は人生を変えました。でも、私から未来を奪うことはありませんでした
- 聞き手
- 現在も経過観察が続いているようですが、今のお気持ちを教えてください。
- Sさん
- 2024年に再び右眼窩にMALTリンパ腫が見つかりました。もちろん再発と聞いた時はショックでした。でも、これまでの経験があったので、以前ほど取り乱すことはありませんでした。今は主治医の先生ともよく相談しながら、経過を見ています。仕事との両立も考えながら、「今は経過観察」という選択をしています。病気はこれからも付き合っていくものだと思っています。だからこそ、一日一日を大切にしたいですね。
- 聞き手
- 最後に、同じ病気の方へメッセージをお願いします。
- Sさん
- 診断されたばかりの頃は、本当に不安だと思います。私も何度も泣きました。何度も「どうして私なんだろう」と思いました。でも、分からないことをそのままにしないこと。信頼できる情報を探し、先生に質問して、自分で納得しながら治療を進めること。それが私には大きな支えになりました。病気は決してうれしい出来事ではありません。でも、この病気があったからこそ出会えた人がいて、学べたことがあり、人生も大きく変わりました。高齢者福祉の仕事に就き、新しい目標もできました。振り返ると、それは私にとっての「キャンサーギフト」だったのかもしれません。病気は人生を変えました。でも、未来まで奪うことはありませんでした。私は今も、その未来を自分らしく歩いています。